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A塾第一期黄金期、T兄弟との思い出

 『A塾の理念』にもありましたように、A塾の発展にはT兄弟との出会いが欠かせません。もちろん他にもA塾に関わっていただいた、感謝してもしきれない多くの方々がいらっしゃいますが、今回は特に思い出深いT兄弟のことをお話したいと思います。

 A塾開校の2000年3月、初めてのチラシ募集でA塾に入校してくれたのは兄のH君。入校の一番の理由は「家から近いから」。できたばかりで信用も実績も何もないA塾によくぞ来てくれたものだと思います。H君はもともと成績優秀、陸上でも短距離走で優秀な成績を収める文武両道の中学2年生でした。1年の頃は当然の様に期末テストで400点以上を取っていたのですが、徐々に勉強嫌いとなり、2年生では300点を切ってしまう程下降していきました。当然塾にも通わされていたのですが、「前の塾では、お菓子を食べて音楽を聞きながら勉強していた。」と語っています。
 なぜか私達と馬が合い、A塾には毎日喜んで来てくれました。入塾後のH君は、本来の姿を取り戻し、無事志望校の可児高校に合格することができました。開校1年目のA塾生では唯一の可児校生でした。この時本人よりもお母さんが大変喜んでくれました、というより安心なさっていたことが印象に残っています。

副塾長写真

 高校生になって1人だけになってしまいましたが、それでも彼はA塾に残ってくれました。1・2年生の時は、部活動に明け暮れ成績はいまいちぱっとしませんでしたが、3年生になって初めて彼のすごさを目の当たりにすることとなりました。眼を見張るような集中力!特に好きな数学や化学を勉強している時の彼には話しかけるのも申し訳なく思うくらいの姿勢で勉強に打ち込んでいました。成績はみるみるうちに上昇し、第一志望の名古屋工業大学に合格しました。専攻は応用化学でしたが、「当時教えてもらっていたF先生に化学の面白さを教えてもらった。名工大はよく厳しいと言われるけれど、僕は大学の勉強も楽しくて楽しくて全く苦に思わない。そして好きなことを職業にできた僕は本当に幸せだと思う。」最近、会った彼が同じ名工大の就職活動に悩む後輩に語っていた言葉。「人生には押さえなければいけない重要な時がある。その時にいかにして自分の力を最大値にできるかが重要なんだ。ゆっくりと準備を重ね、勝負の時に自分をピークに持っていく。今年がお前には勝負の時だ。だから今やれ。」現在彼は、東芝でリチウムイオン二次電池の開発に携わっています。

 そして、弟のA君。A君は小学生の時から勉強がよくでき、サッカークラブでも常にレギュラーで活躍する地域でも有名な優等生でした。兄のH君が入塾してから遅れること1年、6年生の末に来てくれました。中学生の時の彼の成績は素晴らしいものでした。人気者でもあった彼が連れてきてくれた、その後のA塾第一期黄金世代を形成するN君、M君、S君、W君、K君、K君などそうそうたるメンバーと熾烈な競争をし、常に学年上位をキープしていました。そして、当然のように可児高校に合格しました。高校合格の時は、「母は僕の合格のことなどほとんど気に留めていない様子でした。それよりも3歳年上の兄の大学合格に涙していました(笑)。」彼が成績優秀であることは自他ともに認める規定路線だったのです。

 しかし、そんな彼に人生初の挫折が訪れます。2年生になるとなぜか成績が伸びない。確かに本気で勉強しているわけでもないがサボっているわけでもない。友人たちは選抜クラスに入り高校でも優秀な成績を収めているのに、自分だけは普通クラスに落ちた。なぜなのか理由がわからない。もがいてももがいても成績が上がらない。いつしか友人達といっしょに勉強することが嫌になり、平日に塾に来ることを拒むようになりました。しかし、なぜか塾をやめることだけはできず、塾長の村瀬と日曜日に数学にのみ特化し、取り組んでいくことになりました。後年彼はこう語っています。「あの時の僕はどん底でした。軽いうつ状態にもなりました。唯一の救いは村瀬先生との日曜日でした。先生は黙って何も言わず僕に数学だけ教えてくれました。きっと僕がいつか復活することを信じてくれていたのでしょう。」

 3年生となり、とうとう受験学年となりました。塾にもクラス編成があり、この時の私との面談で彼は決断します。「塾に戻ります。英語は上のクラスでやらせて下さい。今の成績は最悪ですが、やっぱり僕はあいつら(友人達)に負けたくない。兄にも負けたくない。名工大と互角以上の大学で文系の大学だと名市大ですよね。かっこ悪くてもがむしゃらに勉強して僕は名市大に入ります!」その後の彼は本当に勉強しました。その甲斐があって10月ごろには成績が上向いてきました。私は一筋の光が見えたような気がしました。そしてセンター試験、1年間の努力が実を結びました。国語と英語は170点超、しかし数学が足を引っ張り名市大のボーダーラインにはわずかながら及ばず。「落ちてもいいから名市大で行きます!」兄と同じような凄まじい集中力で膨大な過去問題を解き、毎日のように国語と英語の添削のために私達のところに来ました。この頃には完全に元の姿を取り戻し、南山大学においては4つの合格を勝ち取りました。
 そして名市大の合格発表、彼は1年前の約束を果たします。「大学受験は本当に苦しいものでした。でも、名市大に合格できたことが今の自分の自信となっています。『負けたくない』という気持ちを持てば、今後もどんなことにも挑戦しその壁を乗り越えられると思っています。」就職活動においても不況の中の公務員試験で見事合格を果たします。今は市役所の税務課で将来のエースと期待され、多くの研修に参加しています。彼の友人達も早稲田大学、東北大学、神戸大学、明治大学、名古屋工業大学、南山大学、滋賀県立大学などに進学しました。彼らの中の理系の子はほとんどが大学院まで進学し今年就職します。

卒塾生写真

 冬期講習も中盤を迎える12月30日。A塾には毎年恒例の行事があります。我々講師とA塾を巣立っていった生徒たちとの忘年会です。2012年も弟A君の学年を中心に、多くの卒塾生が全国各地からこの会に駆けつけ近況を報告してくれました。A塾をずっと好きでいてくれる彼らが私たちは大好きです。前向きでたくましい彼らと話をすることが本当に楽しい。この時彼らが私に言ってくれた言葉を紹介します。
M君「A塾は友人たちとの交流の場でした。家にいるよりずっと楽しい。楽しかったから毎日来ていた。」
K君「Aが僕に塾を紹介してくれなかったら今の僕はなかった。きっと勉強などまじめにやらず大学にも行っていなかった。彼とA塾が僕の人生を変えた。」
A君「授業中に先生たちが話す世の中について、社会についての話を聞くのが好きだった。A塾では勉強だけでなく人生についていろいろ学んだと思う。」
彼らの言葉が私に勇気を与えてくれます。そして、私を開校当時の原点に導いてくれます。

 現在私にも小さな子どもがいますが、自分の子ども達が彼らのような青年に成長してくれたらこれ以上の幸せはないと思っています。今の塾生達にも10年後「A塾に入ってよかった。」と言ってもらえるように、子どもたちの目標達成をサポートしつつ楽しい空間を作るという気持ちを忘れていけないと思います。塾の主役は子どもたちですから。